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放送禁止用語

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ことば (46) 放送禁止用語とPC運動

松野町夫 (翻訳家)

「唄わないで下さいその歌は/別れたあの人を想いだすから」。20数年前、日野美歌や佳山明生が歌った流行歌『氷雨(ひさめ)』(作詞・作曲: とまりれん)の一節である。この歌が流行してまもない頃、姪のひとりが歌うのを聴いてから、私はこの歌が大好きになった。いい歌だ。タイトルや歌詞もそうだが、メロディーもどことなく哀愁を帯びている。大ヒットしたのもうなづける。

ところが、そう思わない人もいた。行きつけの赤提灯の飲み屋で、たまたまこの歌が話題になったときのことだ。飲み仲間の一人が言う。「これってさあ、ちょっとわがままな女の歌だと思わない?だって、彼女は失恋してそれを癒すためにひとりで飲み屋に来たわけでしょう。そこで別の人が歌っていたわけだよね、何の歌か知らないけど。でも歌っている本人にしてみれば好きな歌だよ。それを「「唄わないで下さいその歌は/別れたあの人を想いだすから」と言われても…困るよね」。なるほどね、それもそうだ。歌そのものに非があるわけではない。

特定のことばについて、「そのことばは使わないでください、いやなことを思い出すから」と、テレビ局などに視聴者から苦情が寄せられることがある。応対をまちがえるとトラブルに発展しかねない。こういう事態を事前に回避するために、各社では独自の放送禁止用語のリスト(ガイドライン)を準備しているらしい。

ここでいう放送禁止用語とは、放送局や新聞社などが独自の判断で、自主的に使用を禁止・制限・注意している用語をさす。卑語・蔑称・差別語など公序良俗に反することばが対象となり、その言い換え語が含まれる。放送禁止用語は、法的規制ではなく各社の自主規制であり、いわば内部資料にあたるため、リストは公表されない場合が多い。そこで、インターネットで「放送禁止用語」で検索したところ、個人の作成した放送禁止用語の一覧(見出し語339)を見つけた。http://monoroch.net/gallery/kinshi/index.html

大半の放送禁止用語は妥当なものと納得できるが、なかには首をかしげるものもある。どうみても普通のことばではないか、なぜ、これが禁止用語なのかと理解に苦しむ。卑語でも蔑称でもない普通のことばを抹消することはないのに、と思う。たとえば、以下のことばだ。

田舎、移民(海外移住者)、インチキ(ごまかし)、エスキモー(イヌイット)、エディター(編集者)、親方(チーフ・班長)、確信犯(故意犯)、片足(片方の足)、片親(母子家庭・父子家庭)、片手落ち(気配りに欠ける・不公平)、片目(片方の目・隻眼・独眼)、がっぷり四つ(がっぷり)、芸人(芸能人)、黒人(不必要に使わない)、士農工商、植物人間(植物状態人間)、処女作(第一作)、屠殺場(屠畜場)、共稼ぎ(共働き)、日雇い(自由労働者)、部落(集落・地区)、盲判を押す(ろくに見ないで判を押す)、文盲(字の読めない人・非識字者)

田舎はすばらしい。田舎には自然がいっぱい。私の田舎は、鹿児島県鹿屋市吾平町の持田部落。私が5歳の頃は、まだ電気もなかったほどの田舎だ。しかし田舎や部落を恥ずかしいと思ったことなど一度もない。確かに人から田舎だと馬鹿にされた経験は何度かあるが、そんなとき、馬鹿にしたその人を意識の低いかわいそうな人、とむしろ同情したい気持ちになる。「田舎」は普通のことば。「田舎」という語に罪はない。

「移民」を「海外移住者」に、「インチキ」を「ごまかし」に言い換えることに意味があるのかしらん?「エスキモー」はカナダでは差別語になるので「イヌイット」と置き換えるが、アメリカ(アラスカ)では「エスキモー」は公用語であり「イヌイット」と置き換えてはいけない。「親方」は「チーフ」に置き換えられないこともあるでしょう。それに「親方」は敬称なのでは?「確信犯」と「故意犯」は少し意味がちがう。「片足」をなぜ「片方の足」と言い換える必要があるの?相撲などで「がっぷり四つ」に組むと言うでしょう。これのどこが悪いのかしらん。「芸人」はプロ意識に徹した人という印象がある。「芸能人」より、よほど品のある語だと私には感じられるが。

「士農工商」は、江戸時代の身分制度で武士を頂点に、農民・工(職)人・商人に分類していたわけでしょう。過去に実際に存在したものを表現する普通のことばなのでは?「植物人間」は、まさに植物状態にある人をさしているわけで、わざわざ「状態」を挿入することにどれほどの意味があるのか、私には理解できない。「処女作」がいけないのであれば、オリーブ油のバージン・オイルもダメということになる。「屠殺場」を「屠畜場」に言い換えたところで何が変わるのかしらん。「屠殺場」は現在でも、辞書や百科事典の見出し語としても使用されている普通のことばなのに…。

「黒人」は、アメリカではblack というかわりに African American または Afro-American と言い換える。しかし日本では「黒人」と呼ぶのが一般的で「アフリカ系アメリカ人」などの表現はあまり聞かない。以前、"Black is beautiful." という黒人運動もあり、さらに最近では黒人大統領も誕生したので、黒人であるという自覚と誇りが黒人一般にまで浸透しているにちがいない。黒人俳優シドニー・ポワチエ、黒人演歌歌手ジェロ、キング牧師、オバマ新大統領など私は大好きである。「黒人」という日本語は普通のことばだと思う。

アメリカにも放送禁止用語や言い換えがある。というか、向こうが本家で日本は追従したというのが事実に近い。外国の「いいもの」を積極的に取り入れるのは古代から日本の伝統である。英語ではポリティカル・コレクトネス(political correctness, 政治的正当性)という。政治的に正確な表現を要求するアメリカ合衆国における運動で、PC と略して使われることが多い。

political correctness: noun
[U] (sometimes disapproving) the principle of avoiding language and behaviour that may offend particular groups of people.
(from OALD, 7th Edition)

OALD, 7th Edition 英英辞典によると、PC運動は、アメリカでは1980年代、イギリスでは1990年代にインテリやフェミニストたちが中心となって進展した。現在ではしかし、PC は否定的なニュアンスで使われる場合が多く、負のイメージを持つ語を新しい別の語句に置き換えたところで同じことだという見方をする人もいる。別のことばで言い換えたところで人々の偏見や社会制度がなくなるわけではないと、言い換えを疑問視する人も多い。
PC運動の主な関心事は、人種差別語と性差別語を避けることであった。たとえば、chairman (議長)は chair とか chairperson に、Black (黒人)は African American (アフリカ系アメリカ人) に、Indian(インディアン)は Native American (アメリカ先住民)に言い換えられた。
その他の PC 用語については、これほど広く受け入れられていない。たとえば、blind(盲目)やdeaf (つんぼ)には負のイメージがつきまとうが、visually impaired (視覚障害者)や hearing impaired (聴覚障害者)には負のイメージはないとして、言い換えが使用されるようになったが、人種差別や性差別の用語ほどは広まっていない。
さらに受け入れられていないPC 用語には、次のようなものがある。
vertically challenged (垂直方向に困難を背負った) = short (背の低い)
differently sized (普通の人と異なるサイズを持った) = fat (太った)
physically challenged (身体的に困難を背負った) = disabled (障害のある)
economically exploited (経済的に搾取された) = poor (貧乏の)
involuntarily leisured (心ならずも有閑に追いやられた) = unemployed (失業した)
domestic operative (家事に従事する人) = housewife (主婦)。
PCの考え方に反対する人は、これらの例を取り上げて PC を非難する。

なるほど、アメリカも苦労しているんだ。根底に、プラス思考というか、前向きな思考(positive thinking)があるようだ。でも、背の低い私などは、正直なところ「垂直方向に困難を背負った」と言われても、よけい傷つくなあ。失業した人に「心ならずも有閑に追いやられたのですか?」というよりも、単に「失業したのですか?」の方がずっといい。婉曲表現は慇懃無礼になることもある。毒蝮三太夫の毒舌「「汚ねえ顔したババアだな」や、綾小路きみまろの毒舌漫談「人間なんておしめで始まっておしめで終わる」などが、なぜ、今なお中高年に高い人気があるのか。それは二人とも「本当のこと」を遠慮なく言うからだと思う。もちろん、偏見や差別はよくない。だから卑語や蔑称は避けた方がよい。自分が言われたくないようなことは人にも言うべきではない。

しかし、あまり過剰に反応するのもどうかと思う。言い換えた表現が、かえって違和感を与えることもある。たとえば、敬称「~ さん」について。ニュースや報道番組で小さい女の子を「さん」づけで呼ぶのを最近、よく耳にするようになった。これは少し変な感じがしてどうにも馴染めない。子供にも人格があるとはいえ、小さい子供には、従来通り、「~ 君」とか「~ ちゃん」の方がいいのでは、と思う。

膨大な国史国文資料『群書類従』を編纂した盲目の偉人・塙保己一(はなわ ほきいち)は、江戸時代の国学者である。ある夜、講義中に灯が消えて弟子たちがオロオロしていたところ、「はてさて目明きとは不便なものよのう、灯りが無い所では書物の一つも読めぬとは」と笑ったという。子供の頃によく聞かされた逸話だ。彼は本当に喜ぶだろうか、「盲千人、目明き千人」、「盲判を押す」、「めくらまし」、「文盲」、「色盲」、「盲栓」、「節穴」など、ごく普通のことばの使用を制限することを。
by LanguageSquare | 2009-02-26 09:36 | 放送禁止用語 | Comments(0)