時制とは何か?(その2)日本語に時制はない
松野町夫 (翻訳家)
時間(time)は万国共通の普遍的な概念であるが、時を示す表現方法は言語により異なる。ある事柄がいつ起こったかまたは起こるか、時を示すのに英語では動詞を変化させて過去・現在を表現する。これが時制(テンス)だ。英語には現在と過去の2つの時制しかない(例: do → did)。
日本語の動詞は活用するので日本語にも時制があると誤解しそうだ。「~する」は現在、「~した」は過去と信じている人が多い。しかし、これは表面的にそう見えるだけにすぎない。小説やショートショートなどを注意深く読むと、そうでないことはすぐにわかる。日本語の「~した」「~する」は完了・未完了を示す語で、過去・現在という時制を示すものではない。
ためしに、「~する」を現在形、「~した」を過去形と仮定して、たとえば、星新一著『ノックの音が』 新潮文庫の53ページ「金色のピン」を検証してみよう。
ノックの音がした。
夏の夜の八時ごろ。だが、そう暑くはない。なぜなら、ここは高原地方にあるホテルの一室なのだから。晴れた昼間であれば、窓のそとに広がるゴルフ場や、そのむこうの白樺の林や、さらに遠くの山々を眺めることができる。しかし、いまは夜であり、霧が出たらしく、そとには静かな暗さしかただよっていない。しめた窓ガラスの外側には、光を慕って集まってきた昆虫たちが、点々ととまっている。
「ノックの音がした」は、あきらかに過去の話である。ではつぎの、「夏の夜の八時ごろ」はどうだろうか。この文にはそもそも動詞がないので時制は示されていない。しかし、日本人ならこれは過去の話だとすぐにわかる。つぎに「だが、そう暑くはない」は、意味としては過去の話であるが、ことばでは「~しない」という現在形が使用されている。以下、「~の一室なのだから」、「~を眺めることができる」、「ただよっていない」、「点々ととまっている」という具合に、過去の話なのに、すべて現在形が使用されている。
日本語では、過去の話なのに現在形を使用したり、過去形と現在形が混在したりするのはよくあることだ。これが英語の場合、過去の話であれば、動詞や助動詞はすべて過去形を使用する必要がある。
以下に、『ノックの音が』の翻訳版、訳者スタンレー・H・ジョーンズ(Stanleigh H. Jones) “There was a knock” 講談社英語文庫の48ページ “The Gold Pin” から引用する。
There
was a knock.
It
was about eight o’clock on a warm summer evening in a room at a hotel in the mountains.
Had there been any light, one
could have seen the golf course outside, with the birch trees beyond and the mountains in the distance. But night
had fallen, a mist
had come up, and everything
was still and dark. The windows was closed, and insects, attracted by the light,
clung motionless to the panes.
上記の太字の部分 was, Had, could, had, clung などの動詞や助動詞はすべて過去形である。これを現在形の is, Has, has, can, cling に変更することはできない。
Had there been any light, one could have seen the golf course outside.
= If there had been any light, one could have seen the golf course outside.
(明かりがあったら、そとのゴルフ場が見えたのだが。)
これは仮定法過去完了の英文である。仮定法過去完了は過去の事実に反することを述べるときに使用する。当然、時制は過去である。過去完了は過去時制と完了相を組み合わせたもの。
But night had fallen.
(しかし夜になっていた。)
これは(直説法の)過去完了の英文である。過去完了(past perfect)は過去のある時点を基準としてそれ以前の時を表す。別名、大過去(pluperfect)とか、「過去の過去」などと呼ばれているが、その本質は過去時制と完了相を組み合わせたものにすぎない。つまり時制は過去、アスペクト(相)は完了相。
英語には時制は現在と過去の2つ、アスペクト(相)は完了相と進行相の2つしかないが、これらを組み合わせることで、たとえば、現在完了、過去完了、現在進行形、過去進行形など、合計8種類(未来時制を認めれば12種類)の組み合わせができる。
いずれにしろ、英語では「過去の話には過去形を使用する」は原則である。英語の時制は単純明快だ。では例文をもうひとつ(同書「和解の神」64ページから抜粋する)。
部屋のなかには、ひとりの男が落ち着かぬようすですわって
いた。そとを眺めようともせず、腕時計ばかり気にして
いる。机の上の灰皿には、まだ長いタバコの吸殻が、すでに何本もたまって
いる。
A man
was sitting in the room, looking ill at ease. He
seemed uninterested in the view and
kept on glancing nervously at his wristwatch. The ashtray on the table
was filled with half-smoked cigarettes.
これも過去の話なのに、日本語では「いた」「いる」「いる」と過去形と現在形が混在しているが、まったく違和感はない。もちろん、NHKスペシャルのナレーションみたいに、これをすべて「いた」に変更することもできる。しかしそれだと単調で日本語としてのすわりが悪くなる。
英語では was, seemed, kept, was とすべて過去時制で統一されている。これを現在時制の is, seem(s), keep(s), is に変更することはできない。
英語では過去の話には過去形を使用するのが原則。しかし原則には例外がつきものだ。
ストーリージョークなどを話すときには、英語でも現在形を使うことはよくある。(もちろん過去形でも一向にかまわないが)。たとえば、
A teacher asks her class, “Children, what part of the human body expands twelve times when it is stimulated.” Susie, in the front row, starts giggling and laughing, trying to cover her mouth with her hand...
(先生が生徒に質問する。「みなさん、人間の身体の一部で、刺激すると12倍にふくらむのは何でしょう?」。最前列に座っているスージーがくすくす笑い始め、手で口をおおうしぐさをする…)
物語や小話などでも、過去の話なのに、そのできごとを強調するために、現在時制を使用する場合もある。過去形を使用すべきところに現在形が使用されるのでなにか異様な感じがし、それが結果的にできごとを強調するという仕組みだ。たとえば、
I was sitting in the park, reading a newspaper, when all of a sudden this dog
jumps at me.
(直訳: 公園に座って新聞を読んでいたら、突然、この犬が私に飛びかかってくる。)
注記: この技法は日本語ではまったく効果を発揮しない。むしろ、「この犬が私に飛びかかってきた」の方が迫力がある。
また、新聞の見出しなどでも過去の話なのに現在形を使用する。これは今おきている事件という印象を与えて読者の注目を引くためであり、日本の新聞でも同様だ。しかし、こうした例はあくまでも例外であり、原則はやはり、英語では過去の話には過去形を使用する、と考えてまちがいない。