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ら抜き言葉

ら抜き言葉

ら抜き言葉は可能動詞の仲間である

松野町夫(翻訳家)

ら抜き言葉とは何か?私の手許の辞典類(岩波国語辞典、広辞苑、日本語大辞典、世界大百科事典)には、見出語としてはまだ記載されていない。しかし、ら抜き言葉が一世を風靡(ふうび)したのはまちがいないし、今でも多くの人が関心を抱いているはずなので、ここで「ら抜き言葉」を簡単に説明する。

ら抜き言葉とは一般に、「られる」のついた動詞から「ら」の文字を抜いた言葉を指す。

来られる→来れる
見られる→見れる、着られる→着れる、起きられる→起きれる
食べられる→食べれる、投げられる→投げれる、付けられる→付けれる、越えられる→越えれる

ら抜き言葉 = 来れる、見れる、着れる、起きれる、食べれる、投げれる、付けれる、越えれる

『現代用語の基礎知識』では、ら抜き言葉について次のように述べている。

◆ら抜き言葉(ideot Japanese)〔1993年版 時代感覚〕
とかく“サンゴ族”などと呼ばれて評判の悪い「日本語も満足にしゃべれない日本の若者」たちであるが、新人類が社会人として巣立ちはじめた今日このごろ、「立派なオトナまでが正しい日本語を使えない」という末期的な症状があらわれてきている。「英語さえしゃべれれば立派な国際人だ」などと本気で思い込んでいる英会話バカが目立ち、「バイリンギャル(バイリンガルのギャル)だからニュースキャスターなど簡単につとまる」などと世の中を甘く見ているウスッペラ族(内容希薄なペラ・マン)や舌たらずガールが大手を振ってまかり通っている今日このごろのことだから無理もないとは思う。しかし「食べれる」「見れる」……などと勝手に「ら」を抜いて一億総白痴化に拍車をかけるのだけはやめてほしい。日本が危ない、日本語が危ない!

◆ら抜き言葉〔1997年版 青少年問題〕
国語審議会は1995(平成7)年11月に、「見られる」を「見れる」というような「ら抜き言葉」の使用について、日常会話の語として使用されているのは確かだが、「改まった場での使用は認知しかねる」と結論づけた。

これだけを読むと、「ら抜き言葉」はいかにも悪い言葉のように思えるが、国語学者のなかには「ら抜き言葉」を肯定する人もいる。金田一春彦は、「ら抜き言葉」は起こりうべくして起こった現象だという。「ら抜き言葉」には賛否両論があり、私の周りにいる知人・友人はどちらかというと反対派が多い。

「ら抜き言葉」という概念は、もともと国語の専門家が提唱したものではない。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「ら抜き言葉」という用語が用いられるようになったのは、比較的新しく、1988年の読売新聞社会部『東京ことば』(読売新聞社)では(ら抜き“れる”言葉)の見出しのもと、(「ら」抜きの言葉)(“れる”言葉)などの言い方が使われ(以下省略)、とのことである。つまり、ら抜き言葉は新聞に掲載されて全国的に広がったものらしい。

「ら抜き言葉」がなぜ辞典類に記載されないのか、それはおそらく、学者たちが「ら抜き言葉」という概念自体を認めていないことに原因があるのではないかと思う。ら抜き言葉は、「られる動詞」から「ら」の文字を抜いた言葉だというが、本当にそうなのか。単にそう見えるだけで、実際はそうでないと私も思う。

「られる動詞」は、次のように受身・尊敬・可能を表す。受身なのか、尊敬なのか、可能なのかは、形からは判断できない。用途は文の内容から判断する。

来られる
1. 夜中に来られたら迷惑だよ。(受身)
2. 先生が来られる。(尊敬)
3. すぐに来られるかい? (可能)

食べられる
1. シマウマはライオンに食べられる。(受身)
2. 先生がご飯を食べられる。(尊敬)
3. これ、一人で全部食べられるかい? (可能)

しかし、ひとつの語に3つもの用途があると混乱する。たとえば、「先生が食べられる」は文脈により、「先生が(ご飯を)食べられる」(尊敬)場合も、「先生が(ライオンに)食べられる」(受身)場合も、「先生が(一人で全部を)食べられる」(可能)場合もありうる。日本語では目的語など省略する場合が多いので、誤解が生ずる可能性は常にある。つまり、「られる動詞」はこのように、言語として機能的な欠陥を内蔵しているといえる。

これに対して、ら抜き言葉(=れる動詞)は、上一段、下一段、カ行変格の動詞に対応し、「~することができる」という可能の意味だけを表す。(受身・尊敬の用途はない)。

★ すぐに来れるかい? えらい、一人で来れたんだね。 (可能)
★ これ、一人で全部食べれるかい? はい、食べれます。(可能)

ら抜き言葉は、「られる動詞」から「ら」の文字を抜いた言葉だというが、本当にそうなのだろうか。私はそうは思わない。ら抜き言葉が単に、「られる」から「ら」の文字を抜いた短縮形であるとすれば、受身・尊敬の用途も引き継ぐはずだからである。しかし引き継いでいない。ということは、「られる動詞」から「ら」の文字を抜いた言葉という仮説自体が非常に疑わしい、ということになる。

私の仮説はこうだ。いわゆる「ら抜き言葉」は、「られる動詞」から「ら」の文字を抜いたのではなく、可能の意味を持たない普通の動詞に「得る(eru)」を追加して可能を表せるようにしたもの、つまり、一般動詞を可能動詞に変換したもの、ということである。「ら抜き言葉」という発想は、誤解から生じたものであり、本来、可能動詞の仲間と呼ぶべきものであった。可能動詞化の過程で、「基本形+得る」からu が脱落して変化したものにちがいない。

可能動詞化の過程を説明する前に、日本語の普通の動詞について簡単に述べる。日本語の動詞は、その活用から5種類に分類できる。いずれの動詞にも可能の意味はない。

1. 五段活用動詞: 「~ない」を付けたとき「~ない」の前の音がア段になる
例: 書く、読む、話す、行く、歩く、走る
2. 上一段活用動詞: 「~ない」を付けたとき「~ない」の前の音がイ段になる
例: 見る、着る、起きる、閉じる
3. 下一段活用動詞: 「~ない」を付けたとき「~ない」の前の音がエ段になる
例: 食べる、投げる、付ける、越える、開ける、逃げる、調べる、決める
4. カ行変格活用動詞: 「来る」の一語しかない
例: 来る
5. サ行変格活用動詞:「(~)する」
例: 勉強する、学習する、検討する

可能動詞とは、だいたい五段活用の動詞(書く・話す・読む・行く・歩く・走るなど)に対応し、書ける・話せる・読める・行ける・歩ける・走れるなどと変化させて、「~することができる」という可能を表す。「連用形+得る」の表現が変化したものとされる。例: 書く→「書き+得る」→ kaki eru (i が脱落)→ kakeru

しかし、私は「基本形+得る」の表現からu が脱落して変化したもの、という仮説を提唱したい。「連用形+得る」をなぜ採用しないのかというと、「連用形+得る」は、五段活用以外の動詞には適用できないからである。また、「基本形+得る」の場合、基本形(=終止形)なので誰でも簡単にわかるという利点もある。

可能動詞化の過程で、「基本形+得る」の表現からu が脱落して変化したもの
例: 書く→「書く+得る」→ kaku eru (u が脱落)→ kakeru

このように解釈することで、すべての動詞について可能動詞化の過程を説明できる。ただし、原則に例外はつきもの。日常生活で使用頻度の高い「来る」と「する」の2つの動詞は、不規則に変化するためこの仮説がすんなりとは当てはまらない(来る→来れる、する→できる)。

五段活用:
書く→「書く+得る」→ kaku eru (u が脱落)→ kakeru
話す→「話す+得る」→ hanasu eru → hanaseru
読む→「読む+得る」→ yomu eru → yomeru
行く→「行く+得る」→ yuku eru → yukeru
歩く→「歩く+得る」→ aruku eru → arukeru
走る→「走る+得る」→ hasiru eru → hasireru

上一段活用:
見る→「見る+得る」→ miru eru → mireru
着る→「着る+得る」→ kiru eru → kireru
起きる→「起きる+得る」→ okiru eru → okireru

下一段活用:
食べる→「食べる+得る」→ taberu eru → tabereru
投げる→「投げる+得る」→ nageru eru → nagereru
付ける→「付ける+得る」→ tukeru eru → tukereru

カ行変格活用:
来る→「来る+得る」→ kuru eru → kureru → koreru

サ行変格活用:
する→できる(または、することができる) suru → *dekiru
学習する→学習できる(または、学習することができる)
検討する→検討できる(または、検討することができる)

「ら抜き言葉」という発想は誤解から生じたものであり、本来、可能動詞の仲間と呼ぶべきものである。


by LanguageSquare | 2009-08-07 14:45 | ら抜き言葉 | Comments(1)
Commented by aaaa at 2012-07-01 13:40 x
本来は末尾子音が「ユ」だったはずなのです
燃ゆを
mojとすると
燃えよ(命令形)は
moej oとなります
取るtolは
tol e取れ(命令形)
tol an取らん(否定)
となるわけですが末尾がユなら
絶える(絶えろ)
taej taej o絶えよなら言えますが
絶えいぇ
taej eは言いにくいです
絶えやん
taej anも同じく曖昧な母音になるので
taej n絶えん(否定)になるわけです

tol 取る
tol e 取れ
tol en 取れん
はいえますが
taej 耐える
taej o 耐えよ となり、、
taej en 耐えいぇん
は言いにくいのです

絶えれ 絶えらん
にすれば問題ないのです