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インスパイアとは何か

インスパイアとは何か
英語の “inspire” は「息を吹き込む」

松野町夫 (翻訳家)

この小論は、親友のコメントにインスパイア(触発)されて書いたもの。最近、「このインテリア用品はインド旅行の体験にインスパイアされて選んだ」というような表現をよく耳にするようになった。実際、「インスパイア」 ”inspire” は、曲名や会社名、商品名、キャッチフレーズなどに愛用されている。たとえば、浜崎あゆみの曲名 “INSPIRE”、会社の名称「株式会社インスパイア」、ホンダの5人乗りセダン “INSPIRE”、日立グループのキャッチフレーズ “Inspire the Next” など。たしかに「インスパイア」ということばには、現代人を魅了する何か不思議な力が潜んでいる。

研究社の新英和中辞典では “inspire” を以下のように定義する。
inspire [inspáiǝ] (他動詞):
1.<人を>鼓舞する, 激励する, 発奮させる, 触発する, <…に>刺激を与える (encourage)
2.a. <人に>〔ある感情・思想を〕起こさせる
b. <ある感情・思想を>〔人に〕吹き込む, 鼓吹する 〔in, into〕
3.<人に>霊感を与える (cf. inspired 1).
4.<行動などを>教唆する, けしかける; <うわさなどを>(けしかけて)広げる
5.<ある結果を>引き起こす, 招く, 招来する
6.<…を>吸う, 吸い込む (expire).
inspire [inspáiǝ] (自動詞):
息を吸い込む.

英語の “inspire” は、ラテン語の inspīrɑ̄re(息を吹き込む)= in + spīrɑ̄re(息をする)に由来する。この語はもともと、神や超自然的なものについて、真理や教えを授けるという意味で使用された(The word was originally used of a divine or supernatural being, in the sense impart a truth or idea to someone. from OALD7)。

英語の “inspire” は本来、「息を吹き込む」ということで、そこからさまざまな意味が派生する。しなびた風船人形に息を吹き込んで ふくらませると、人形はいきいきとよみがえる。これが “inspire” の本質。「息を吹き込む」ということは、相手に活力(生命力)を与え、やる気にさせることである。興味深いことに、やまとことばの「いき」にも「生命力」の意味がある。やまとことばの「いき」を含む語には次のようなものがある。

いき → 息、生き、粋、意気、勢い(いき・ほい)

上記の5つの語「いき」はすべて、同じことば。同じ語源から派生したもの。「いきがある」は、息がある、生き(生命)がある、粋がある、意気がある、勢いがある、ということ。息があれば、生きており、粋(色気)があり、意気もあり、勢いもある。息が絶えると、生き(生命)も絶え、粋も意気も勢いも絶える。つまり、息=生き=粋=意気=勢い。しかし私たちにはそれぞれが別のことばに見える。なぜか?漢字が異なるから。漢字はもともと中国の文字なので和語(やまとことば)について考えるときは、一度漢字の意味を離れて、その「読み」に注目する必要がある。(参考: 中西進著 『ひらがなでよめばわかる日本語』 新潮文庫)

英語の他動詞 “inspire” 一語に対して日本語の訳語は複雑だ。たとえば、鼓舞する, 激励する, 発奮させる, 触発する, …のように、漢語(10)、和語(5)、合計15個もあり複雑だ(1対15)。そこで、多少強引だが、 “inspire” =「やる気にさせる」と「ふくらませる」の2つの「やまとことば」を当てたらどうなるのだろか。遊び心で実験する。1対15 より 1対2 の方が覚えやすいので。

1.いいものを吹き込む → やる気にさせる
(鼓舞する, 激励する, 発奮させる, 感動させる, 高揚させる, 勇気付ける, 吹き込む)
2.何かを吹き込む → ふくらませる
(起こさせる, 触発する, 霊感を与える, 教唆する, けしかける, 広げる, 招く, 招来する)

それでは以下に、研究社の新英和中辞典の “inspire” の例文を使って、この2つのやまとことば、「やる気にさせる」と「ふくらませる」だけで対処できるのか、実験を開始したい。しかしその前に、日本語と英語の構造のちがいについて、簡単に述べる。

一般に、英語は「SはOをVする」という表現が多く、日本語は「SなのでOはVになる」という表現が多い。たとえば、「私たちは株主総会を5月30日に開催することに決めましたので…」とは、日本語ではあまり表現しない。この言い方は受け取り方によっては少しきつい表現となるので、株主のなかに「勝手に決めたのか」と反発する人が出てくるおそれがある。たいていの場合、「株主総会は5月30日に開催することになりましたので…」とやわらかく表現する。この表現だと、自然にそうなったみたいな印象を与えるので反発しづらい雰囲気になる。実際のところ、開催日は自然にそうなったのではなく、役員会が人為的に決定したのであるが、日本人は伝統的に「~になる」という表現を好む。

英語は「主語+他動詞+目的語」という構文(SVO)が多い。しかも主語が無生物となることもある。この場合、そのまま(SはOをVする)と直訳していい場合と、(SなのでOはVになる)とした方が日本語として自然な文になる場合と、どちらもいい場合と、みっつある。どれを選択するかは、訳者の判断(主観や好み)による。たとえば、

His courage inspired us.
彼の勇気は我々をやる気にさせた。(SはOをVする)
彼の勇気で我々はやる気になった。(SなのでOはVになる)

それでは早速、研究社の新英和中辞典の “inspire” の例文で実験してみる。

・Her assurance inspired him to renewed effort. (研究社の新英和中辞典の例文)
・彼女が安心させたので彼は新たに努力する気になった。(その訳文、以下同様)

彼女の約束は、彼をやる気にさせ、彼は努力する決意を新たにした。(SはOをVする)
彼女の約束で、彼はやる気になり努力する決意を新たにした。(SなのでOはVになる)

・His brother’s example inspired him to try out for the football team.
・彼は兄の例に刺激されフットボールチームの選抜テストを受ける気になった。

兄の例は、彼をフットボールチームの選抜テストを受ける気にさせた。(SはOをVする)
兄の例で、彼はフットボールチームの選抜テストを受ける気になった。(SなのでOはVになる)

・His conduct inspired us with distrust.
・彼のふるまいを見て我々は不信を感じだした。

彼の行為は我々を不信感でふくらませた。(SはOをVする)
彼の行為で我々は不信感をつのらせた。(SなのでOはVになる)

・The sight of blood inspired horror in her.
・彼女は血を見ると恐怖を覚えた。

血を見たことは、彼女の恐怖心をふくらませた。(SはOをVする)
血を見たことで、彼女は恐怖心を覚えた。(SなのでOはVになる)

・He inspired self-confidence in his pupils.
・彼は生徒たちの心に自信を奮い起こさせた。

彼は生徒たちの心に自信をふくらませた。(SはOをVする)
彼のおかげで、生徒たちは自信を持つようになった。(SなのでOはVになる)

・The rumor was inspired by a misunderstanding.
・そのうわさの発端は誤解であった。

誤解がそのうわさをふくらませた。(SはOをVする)
誤解でそのうわさはふくらんだ。(SなのでOはVになる)

・Honesty inspires respect.
・正直は人に尊敬の念を起こさせる。

正直は尊敬の念をふくらませる。(SはOをVする)
正直であれば、人から尊敬されるようになる。(SなのでOはVになる)

ついでに、メリアム・ウェブスター英英辞典の例文(英文)で以下に実験する。

Her first novel was inspired by her early childhood.
子供時代の体験が彼女の最初の小説をふくらませた。(SはOをVする)
子供時代の体験から彼女の最初の小説は生まれた。(SなのでOはVになる)

The news inspired hope that the war might end soon.
そのニュースは、戦争がまもなく終わるかもしれないという希望をふくらませた。(SはOをVする)
そのニュースで、人々は戦争がまもなく終わるかもしれないと希望を抱いた。(SなのでOはVになる)

まとめ:

“inspire” =「やる気にさせる」 or 「ふくらませる」とした場合、

・英語的発想の和文(SはOをVする)には、すべて適用できる。
・日本語的発想の和文(SなのでOはVになる)には、一部適用できない。
(意味は通ずるかもしれないが不自然な和文となるので)。

サンプル数が不足しているので断定はできないが、あらためて「やまとことば」の威力を思い知らされた気がする。「やる気にさせる」という一語で、(鼓舞する, 激励する, 発奮させる, 感動させる, 高揚させる, 勇気付ける), など6個(以上)の漢語を代行させることができるのである。「やまとことば」の持つこの長打力を、もっと活用した方がいいのではないだろうか。たとえば、英和辞典の動詞には「やまとことば」をあて、カッコ内に漢語や和語を列挙するというように。このほうが日本人にはわかりやすい。(以下参照)

inspire [inspáiǝ] (他動詞):
英語の “inspire” は本来、「息を吹き込む」
1.いいものを吹き込む → やる気にさせる
(鼓舞する, 激励する, 発奮させる, 感動させる, 高揚させる, 勇気付ける, 吹き込む)
2.何かを吹き込む → ふくらませる
(起こさせる, 触発する, 霊感を与える, 教唆する, けしかける, 広げる, 招く, 招来する)
by LanguageSquare | 2011-05-23 08:46 | 日本語 | Comments(0)